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展覧会

リレー随筆 第18回  

自然は第一の師・ルーブルは第二の師 - 山下 悦三 -

この言葉は印象派の巨匠セザンヌが残した言葉である。セザンヌは南仏プロバンスの砦のようなサントビクトワール山に向かって、移り行く四季の姿は勿論、自然の秘めた冷厳さを引き出そうと何回となくイーゼルを立てた。

又アトリエではリンゴの山を飾り、美の本質を表現しようと毎日絶ゆまない習作を続けた。その中から後世に残る名作が生まれた。

又、「ルーブルは第二の師」とはセザンヌにして筆の壁に阻まれたが、その時はルーブルの名画に暗示を求め活路を開いたと取れるが、万人の絵の中には自らを発奮させるよいものがある筈だから広く学べと理解すべきである。

そのセザンヌは勿論、印象派の絵画展を開催すれば日本では、場所会場を問わず常に三十万人の入場者があるというから、我々の印象派好きを証明しているようである。

それは印象派が総じて 色調明るく多彩で画題も判り易く、臨場感さえ満たしてくれる親近がある故であろう。又粗い勢いのよいタッチは新鮮なものさえ感じる。

又印象派の名画は様々で楽しい。モネは若き女性のパラソルに陽光を輝かせ、マネはその白日の下男女有楽を演出し、パリを逃れたゴッホはアルルの田園の春の光を奏でた。ルノワールは女、女性群に太陽の如き輝きを与え、ピサロやシスレーは移り変わる光線を独特な早描きで処理し、反対にミロは安定した外光を室内に取り入れて踊子を飾った。等々印象派の絵画は自由で個性的で、陽光の明るさを生かした絵画が多かったので、光の画家達とも呼ばれた。

画家が外光の下で、自分の思う処にイーゼルを立てることできたから印象派の様々な作品を産んだが、それが可能になったのは 十九世紀初めに油絵具がチューブ入りになって持ち運びが出来るようになった、という劇的な革新が画家達の自由な活動を促進した。

それ迄は日本画のように顔料を一々溶いて居たので、絵画制作は屋内にならざるを得ない。その為外光下の絵と較べると暗く、実写性に欠けるから絵画の勢いを失い勝ちである。

その上更に、印象派以前の作品の緻密な写実性や壮大な構図などに感銘しても、画題の多くがギリシャ神話やキリスト教や西欧史に疎い我々にとっては難解である。又画家達は教会や時の権力者の庇護を受けていたから 絵画に一種の権威感など感じられて親しめない。

それが十八世紀末の産業革命や十九世紀初めの二度に亘るフランス革命の結果、社会は自由とリアリズムが基調となって又一般市民層が世の原動力となり、それが絵画界にも波及して印象派を産んだと言える。一般市民出の印象派の画家達は自由を旗印に産業革命の成果とも言うべきチューブ入りの絵具のお陰で自然と対峙して思う存分筆を振って太陽の恵みをキャンバスに収めることが可能となった。併し印象派として世の中に認められたのは第一回展覧会が開催された一八七四年のことであった。

日本の巨匠中川一政画伯も又「即物写生」に徹して、住まい近くの真鶴の漁港でも箱根の山でも作品の大小を問わずイーゼルを立て これでもかこれでもかと絵筆を振い、自然の扉を開こうと挑戦した。又毎日花の習作を欠かさず美の本質に迫る筆を重ねた。その姿はセザンヌ同様で、その強固な信念と実行力に改めて敬服を表さねばならない。

我々も又多くの絵具を携えて イーゼルを立てるが 思うように表現出来ぬのが常だから なんとかならぬかと加筆を重ね実写性を失うことがある。それを中川画伯は絵の「説明」であり頭の中の理屈が描いた絵は 死んでしまったと厳しい。
そうならぬためにも 技法や理屈に頼らず 自らの筆を重ね 重ねて自らの経験則を得なければなるまい。又その努力なくして他人様の作品の良さに暗示を得ることも出来ない。

私は既に老境の身で自然の中にイーゼルを立てるのは甚だ不如意である。だから頼れるのは我がOB展の多士済々の秀作揃いのその中から私の制作意欲を掻き立てるものを得て吾が筆が衰えぬよう願っているのである。

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