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私のスケッチ旅行(T) - 江川 隣之介 -

■はじめに
私は昭和63年から平成21年までの22年間に21回の2週間ヨーロッパ・スケッチ旅行を続けてきた。その仲間の一人が、この様なスケッチ旅行が続けられる要因として3Kなる言葉を提案した。それはこの旅行の主催者の名前がK氏であり、家族(K)の支援と、金(K)の三者が揃って旅行が可能であると云うことであが、私は更に旅行仲間の友情(Kindness)と、旅行者本人の気力(K)を加えた5Kが要素であると考えている。
また主催者はK氏であるが旅行仲間はその都度変化する。しかし、何人かは旧知の仲間で、気楽に付合えることが長続きの大切な要因となっている。

■訪問先
訪問先は欧州各地で、目的国に到着後はチャーターしたバス旅行になり、日本語ガイドの案内がつく。宿泊先も日ごとに変わることは少なく、一か所に二泊以上のことが多い。
訪問国は、アイルランド、イギリスをはじめ、ノルウエー、スエーデン、デンマークの北欧三国に続くヨーロッパ諸国、ポルトガル、スペイン、フランス、更にこのスペイン・フランスの両国にまたがり特有の文化圏であるバスク地方や、オランダ、ベルギー、ルクセンブルグ、スイス、続いてドイツ、オーストリア、ポーランド、ハンガリー、地中海沿いのイタリアとその先のシチリア島、モナコ、さらに東欧のチェコ、スロベニア、クロアチア、その先の黒海に面したブルガリア、ルーマニアなど、ほぼ全欧州に足を運びスケッチを続けて来た。

■画材
初期には6号のキャンパスを大きな段ボールの箱に詰め込み、現地でイーゼルを立てて油絵に挑んで来たが、その後、手製の簡易組み立て携帯式6号キャンバス収納ケースを開発して、引き続き油絵を楽しんで来た。現地で描く油絵の醍醐味は捨て難いが、出先での油絵の道具や出来上がった作品の始末に裂く労力と時間が勿体ないので、やがて現地でのスケッチは主として6号の水彩画に頼って、帰国後油絵に仕上げる様に変更して今日に到っている。
最近は搭乗時の携帯品の検査が厳しくなり、容器内の液体や絵具のチューブ類の検査が厳重になっており、その点でも水彩の簡便さは捨て難いものである。

■盗難
スケッチに使用するアルミのパイプ椅子は必需品であるが、ブルガリアに旅行した際、目を離した隙に盗まれてしまった。同じ時に仲間の女性は色鉛筆を盗まれた。物の不自由な国ならではのことである。その翌々年にはポーランドで私はカメラの盗難に遭い、仕方なく現地で日本製のカメラを調達し旅行を続けた。帰国後そのカメラメーカーに日本語の説明書を要求したところ、既に廃止機種で用意出来ないと宣言された。物が豊かで大らかな我が国の習慣がヨーロッパでは通用しないことを承知している積りだったが、油断大敵を痛感した。

■携行品
ヨーロッパでは昼食を摂るのにも時間が掛かるので、ホテルの朝食時の余分なパンや果物を携行し、持参した水筒には紅茶を満たして役立てる事にしている。画板の上にナプキンを拡げ、ナイフとフオークで優雅な昼食を摂るのも乙なものである。時にはウイスキーも嗜むこともある。フランス語ではのんびり楽しむことをトランキーロと云うそうであるが、まさにその様な境地である。
ヨーロッパは一般的に日本に比べて雨が少ない。しかし出先で雨天に遭遇することはままあることで、建物の軒下、回廊、戸外に張り出した喫茶店などを利用し、たまには恰好な柱に傘を縛り付けたりして、折角のチャンスを逃さぬ工夫をすることもあった。

■題材
一般的に我が国に比べヨーロッパの自然環境は単純であり、片や古い建物が多いので、モチーフは建造物になることが多い。

■周囲の目
フランスの南西のサゴンヌという村では日本人を始めて見たという人々にも会ったし、パリから一緒に来た私達の車の運転手が、「パリのバスが此処まで来たのは初めてだろう。」と述懐した事もあった。日本人のグループが絵を描きに訪れたと新聞報道がなされた事も何度か聞いた。


[訪問国別スケッチ事情]

■フランス
マルセイユの港は嘗て海路による航海時代にはヨーロッパの窓口であり、多くの国籍の旅行者が行き来した所である。
入り江になったこの波止場では向い岸に並んだ建物を背景にして、港に停泊した船の林立した帆柱が画材になる。港の広場に面したホテルが私達の宿で、岩壁にイーゼルを立てて絵筆を使っている私の周囲には多くの人だかりができた。早々と引き揚げた仲間はホテルの窓からその私の姿を興味深げに眺めている。これらの視線を感じながらキャンバスを埋め、その夕べは貝の料理を楽しんだ。 アルビはモンマルトルの歓楽街の人物を描いたロートレックの故郷でロートレック美術館がある。赤土色の水を湛えるタルン川の渓谷に架かる高い石橋から、黄土色の煉瓦造りの建物の並ぶ町並みを同行の仲間と並んでキャンバスに向い、時の経つのを忘れて絵筆を動かしているうちに、予定の時間が過ぎ独り残った私を迎えにきた添乗員に声を掛けられて初めて気が付き、急いでバスに駆けつけた思い出がある。
モン・サン・ミシェルはノルマンデイの海岸に聳え立つ岩山に築かれた修道院で、世界遺産にも登録されて古くから巡礼地として知られている聖地である。ここは海上の島でその島全体が観光地でもあり、一つの町でもある。引き潮になると歩いて渡れるようになるが、現在では道路でつながっている。対岸のホテルに宿泊し朝の食事をしていると、羊飼いの少年が犬とともに羊の群れをこの島に面した草原に連れ出してくる光景が見られ、急いで出かけてその状況をスケッチした。暫くするとそのあとを追う様に杖をついた羊飼いの老人が現れた。羊の群れはこの場所で一日中食事をして夕方になると引き揚げるのである。なお島に渡ると尖塔のある壮麗な寺院を中心に様々な施設が現れ、土産物店やレストランもある。ここの名物はオムレツと聞いた。
オルレアンの街を見渡せる町外れの高台で携行した椅子に掛けて写生をしていると、わざわざタクシーを止めて私に道を聴く人に出くわした。イーゼルを立てて油絵を描いているので、地元の住人と思ったのであろう。むしろこちらの方が道を聴きたいくらいだ。 その日は5月8日のジャンヌ・ダルクの日でオルレアンの街並には各種の旗がひらめき、フランスの各州をはじめ、周辺の国々から訪れ様々な衣装と持ち物で身を飾った人々によるパレードが繰り拡げられていた。街の中心のマルトロワ広場にはジャンヌ・ダルクの騎馬像が毅然と聳えていた。
ナントはロワール川の河口の町で1995年に音楽による街興しのため、世界中の大都市から演奏家を招いて、馴染み易いクラシックの演奏会を開催した結果、若者を中心として人口が増加し、工業が盛んになり、クイーン・エリザベスU世号の後続船やジャンボ航空機エヤバスの新機種の製造工程にナントが加わる結果となり、町の発展に成功した。平成17年(2005)4月末から5月初めにかけて、我が国でもクラシック音楽祭「ラ・フオル・ジュルネ(熱狂の日)・オ・ジャポン」なる演奏会が、東京国際フオーラムの広い建物の多くの会場を使って開催された。この音楽祭はその後毎年継続して開催されている。
この音楽祭はナントの成功に次いでスペインのビルバオが続き、ついで東京でも開催される様になった。世界中の1,000人の演奏家によるクラシックの名曲が2.000円前後で聴ける催しである。平成17年のスケッチ旅行はこの演奏会直後の出発となり、丁度ヨーロッパからの演奏家の帰国便と重なり、機中は満席で苦労した。

■モナコ王国
地中海沿いには歴史的にキリスト教徒とイスラム教徒の対立を物語る場所が多く見られ、所謂鷹の巣の町と呼ばれる岩山の上に教会を中心に発達した都市が点在しており、格好の画材になる。
モナコはそれらの町とは異なった独立国で、港には多くの船が停泊しており、港を見下ろす丘でその風景を描いていると、近くのベンチで休んでいた人物が寄ってきてしきりに画面を指差しだした。暫くして解ったのだが、その人は船乗りで港の入口に設備された赤青の標識灯が逆に描かれているとのことであった。船乗りにとっては重大事なのである。

 

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