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学習支援

第47回日立OB美術会展「研究会」レポート  
喜田祐三 / 陳列委員会

今回も、初日(9月27日(月))午前10時から立見先生により、出品作品に対するご講評が行われ、作品毎、会員毎に貴重なアドバイスをいただくことが出来た。
立見先生の3時間にわたるご講評の中に共通した2つの言葉を見つけた。
1、「絵を汚す」ということ、そしてもう一つは
2、「絵に動きを与える」ということである。
今回の研究会レポートはこの2つの言葉について考えてみたい。


(1)「絵を汚す」
まず、「絵を汚す」ということだが、この真の意味は汚すことによって「絵に味わいを与える」「絵に深みを与える」「絵に面白さを与える」というほどの意味であろう。
幼児や小学生が熱中して絵を描く時、手に着いたクレヨンやクレパスの汚れが白い画用紙を汚してしまう。この汚れが理想的なのである。ごく自然に美しく汚れるのである。時としてこの汚れは感動的ですらある。我われ成人は幼児のように自然に汚すことが出来ない。
せっかく上手に描けた絵をなんで、わざわざ汚すんですか、と信じられない人が多いかもしれない しかし、絵を汚すということはいい絵を描くためには大切な要素なのである。
汚し方には技術と経験が必要である。@1本の線を汚く2重に描く、A絵具が十分に乾燥したあと、シンナーやストリッパーで絵具を削り落とす、B筆の腹の部分を使って淡色をぐいぐいと画布に塗り込む、B乾いた後、キリの先やカミソリの刃で引っかいたり傷つけたりして汚す。 しかし、どのように汚しても「キャンバス全体で調和のとれた汚し方」が大切だ。汚すということは画家の気持ちや精神をキャンバスに塗り込む、ということでもある。いろいろな方法で画面に強い命を吹き込むのである。
上手に汚すということは一朝一夕に会得出来るものではない。何回もいろいろな方法で汚し方を試行錯誤してみて、はじめて自分が納得する「汚し方」を見つけることが出来るのである。

(2)「絵に動きを与える」
次に、「絵に動きを与える」ということについて考える
キャンバスに動きを与える方法は皆さんは自分の経験から既に幾通りもご存じと思う。言うまでもなく「画面を見て動き(変化)を感じること」は観る者の心を動かし、感動を与える上で大切である。動きによって絵がが面白い作品にもなる。
筆者の経験からいえば画面に動きを与える方法は4つある。
その4点は 構図、描画、色彩、マチエール、である。以下、順に考えてみよう。

: 構図は画面全体を斜めに切ったり、上下左右に切ったり、その比率を変えたり、鋭角の空間に球形を 配置させたリ、主体と従属部分の関係を線で結合したり、いろいろな構図上の工夫がある。

: 描画で動きを出す方法もある。いわゆる「デフォルメ」と呼ばれる方法であり、正常な形に変形を加えたり、三角遠近法の基本を無視して遠近を表現したり、直線を曲線化したりして画面に変化(動き)を与える方法である。

: 色彩で画面に動きを出すこともできるが、これはなかなか難しい。野獣派(フォーヴィズム)と呼ばれる一派があるが、彼らは画面上の左右や対角上に同一の強い色を配置することにより絵を強く表現する方法を編み出した。また、補色の関係を利用して画面にエネルギーを与えることも可能である。平凡で飽き飽きした色彩画面の中に鮮やかな1点を置くことによって絵は生き返り、躍動することもあるのだ。

: マチエールによる方法は画布の表面に強く残る筆跡を強調して絵に動きを出せる。 また、(1)で述べた「絵を汚す」ことによって、絵に動きを与えることもできる。 これも、マチエールによる手法の範疇である。

立見先生のおっしゃる「絵を汚す」、「絵に動きを与える」は存在する対象物を寸部違わず写生すること(料理に例えれば、レシピどおりに料理をすること)に加えて、絵を強くし、絵に面白さを加える(即ち、いろいろなスパイスを加え、調理法を工夫変化させて独自の味を出す)ことが大事であるという教訓だろう。

 

 

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