「色彩と建物」 -大塚 健嗣-
数年前から旅行会社の添乗員同行の旅を、イタリヤ周遊から切り絵の題材収集を兼ねて始めた。世界遺産を連日次々と見せられたり、昔教科書で見た絵画の本物が、想像以上の迫力で脳裏に焼きついていく。
それはそれで旅行の主目的であり、堪能できるものである。しかし旅が重なると、どれも大差なく感じられてくるのはセンスの欠如からきているのか?
ツアーは、おおむね世界遺産を主に観光地を周遊するために、バス移動時間が多い。
これをお喋りや睡眠に費やすのは勿体無いので、前後左右の車窓に目を向けていると「一枚の絵」が切り取れる。慌ててシャッターを切っても窓ガラスに邪魔されて、傑作は皆無に等しい。
近頃いつの間にか屋根瓦、壁の色に絞ってみるようになった。田舎の街角で小さい風景に溶け込んだ可愛い教会、トイレ休憩のガソリンスタンドの前の小さな民家のピンクの壁、ランチタイムの建てたばかりのレストランの緑や黄色一色の壁、石組みの壁に乱暴に塗られた壁の色等が印象に残った。
同じ赤や黄色一色で葺かれた街の景観は良く見られるが、その色合いや形状が良く見ると違っていて面白い。
色はその土地土地で産する粘土と、その焼く温度で変わってくる。形状は、降雨量や屋根形状などで変わる。復興したクロアチアのドゥヴロヴニクの瓦は色違いが一目で分かるほど異なるが、調和が取れて違和感を感じさせない。それに引き換え先日公開された東京駅のドームの屋根はキチッと再現していながら、違和感が感じられたのはなぜでしょうか?
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