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第50回記念展エッセイ集 第23回  

「シンガポール展のお手伝い」 -喜田 祐三-

半導体産業が急速に拡大するアジア(シンガポール)に私が赴任したのは、一九九五年春のことでした。赴任後、私が最初にやった仕事は本業の半導体ではなく、日立OB美術会「シンガポール展」のお手伝いでした。一九九五年五月二〇日「シンガポール展」はパン・パシフィック・ホテル三階のコリドーギャラリーで、華やかに開催されました。私は会場の設営、陳列補助、歓迎パーテイの準備など、夢中になって下働きで頑張りました。

当時、会長は福原三郎氏(故人)、事務局長は山本衛氏(現会長)でした。南国の古い街並み、白い壁と赤い屋根のコントラスト、紫のブーゲンビリアが咲き乱れる裏通り、ジョホール・バルの寺院などスケッチにもご案内しました。福原さんは「喜田君、いいところだねえ…」と言って、車の行き交う道路の真ん中に座りこんで街並みをスケッチされたのには、私は命の縮まる思いをしました。今、思い起こせば歓迎パーテイのこととか、二次会で聴いた大藤さんの美しいソプラノとか、ジョホール・バルの金のブレスレットの事などを鮮明に思い出しますが、肝心の作品のことは不思議に記憶に残っていません。

私は二〇〇二年秋に七年半に及ぶシンガポール勤務を終えて帰国して定年退職しました。 今、日立OB美術会のメンバーに入れていただき、楽しく活動しています。

 

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