私の絵画論
人間の精神史としての美術 - 後編 -
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我々はどこから来たか
我々とはなにか
我々はどこへ行くのか
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ゴーギャン
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村上啓一
「4」フランス革命と産業革命が印象派画家を生んだ。
フランス革命とともに王侯貴族のための豪華で調和と均整のとれた古典的美術が消えた。ドラクロアの民衆を導く'自由の女神'がアカデミズムを否定し、クールベは科学時代に呼応して倉敷大原美術館で見た'石切り'のような写実主義に徹した絵を描き見ないものは描かないと云った。ニュートンの光の7色説に導かれて印象派の画家たちはアトリエから明るい戸外で写生を始めた。自然や風景が絵の対象となった。マネのヌード'オランピア'の生々しさとティツィアーノの'ウルビーノのヴィナス'の華美を較べよう。ルノアールやモネは産業革命と資本主義で豊かになり宗教と王侯貴族の権威から自由になったブルジョア市民の生活を飾り満喫させた。鉄道や市街も絵の対象になった。カメラの発明は写実主義に新しい・・美とはなにか・・という疑問をもたらした。セザンヌが印象派の光と色にくわえて幾何学的構成をとなえて印象派から離脱した現代美術への道を開いた。
「5」戦争と革命の20世紀を経て美術は万人のものになった。
19世紀から西欧は繁栄とともに繰り返される不況に思想的・心情的不安をはぐくんでいた。哲学者は文明をのろい'神は死んだ'と云い思想家は'西欧の没落'を唱え政治家やデマゴギーは社会主義や戦争を煽った。ゴッホやゴーギャンは印象派の画家たちのように単純に'印象'だけを描くことに満足できなくなった。日本の大胆な省略や構図の浮世絵に好奇の目が向けられ植民地から到来する原始的美術が画家たちの心を震わせた。ゴッホは世に入れられず絶望し株式ブローカのゴーギャンは文明を嫌悪して原始をもとめてタヒチ島に逃避した。モジリアニやスーチンは画法と画題が天才世に入れられずという喩えのように早逝した。
作品が売れて芸術家は生活できる。天才は若く時代の変化・・時代精神・・に敏感だ。作品を買う力のあるものは変化に鈍感だ。天才の作品が売れるには1世代かかる。天才の悲劇だ。
20世紀神に見捨てられた人間が生んだ鬼子がナチスとコミュニズムであった。戦争と革命の世紀となった。全体主義の国では美術が政治宣伝や戦争の道具に貶められた。自由主義の国で自由と平和のための人間の魂からの叫びを表現するには尋常な方法は捨てられた。シュールリアリズムやキュービズムだ。ピカソの'ゲルニカ'やアンリ・ルソーの'戦争'は美のなかに叫びがある。両大戦が終わって我々が目にしたのはムンクの不安の'叫び'やダリの不条理な曲がった'時計'であった。ミロやシャガールやクレーは戦火を通り抜けた平安の地を示してくれたのかも知れない。岡本太郎の巨大作'明日の神話'は日本の20世紀のしめくくりと明日への祈りである。
「6」日本の仏教美術と江戸時代の美術は世界の誇りである。
古代ギリシャの美がアレキサンダー大王によりインドのガンダーラに伝わり中国山東省青洲をへて法隆寺の釈迦三像や中宮寺弥勒菩薩の笑みらしき古拙の美となり、ミロのヴィナスの美は1000年をへて広隆寺の弥勒菩薩や湖北渡岸寺の観音菩薩の気高さと優美に変成した思えばたのしい。奈良平安時代の仏教文化が咲く花の匂うがごとく栄えたのは西欧が中世の暗黒時代に眠っていたころである。大乗仏教のおおらかな奥深さのたまものである。
源氏物語絵巻をはじめ絵巻物は時間の流れに沿って絵が展開して物語する絵画は西欧には見られない。時間の流れは仏教の説く諸行無常に通じる。京都 高山寺の鳥羽僧正'鳥獣戯画図'は現代のアニメの源流である。
元禄時代オランダのレンブラントやフェルメールと同時代に尾形光琳がいた。ダイナミックな'風神雷神図'や波打つような'かきつばた'は世界最大のグラフィックデザイナーであった。ムーランジュールの広告ポスターを描いたロートレックより100年もまえのことだ。浮世絵は江戸が世界最大の都市であり市民社会の庶民のニーズに応えたものだ。印象派の画家たちに技法とともに自然と人間や社会が共存した息遣いも伝わったにちがいない。
ゴーギャンはタヒチ島で描いた絵に我々はどこから来たか我々とは何か我々はどこへ行くのかと書き込んだ。21世紀の我々は何を描くのも自由である。自由は重荷でもある。人間は一人で生きていけない以上少しでも他の人に喜んでもらえる絵を描きたい。
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