私の絵画論
「抜けない空」 - 黒岩 裕介 -
本格的に油絵を始めて今年で7年目になるが技術的には初心者である。キャンバスに向かって目の前のモチーフをいかにそれらしく再現するかに腐心している段階であるから、形のとり方や絵の具の混ぜ方や塗り方などに忙しくて理論や理屈など何の持ち合わせもない。そういう私に執筆依頼が来たから慌てた。絵画論とは何ぞやから始めねば何も書けないと、理論家と私淑する建脇さんにならって神田の古本屋で本を揃えた。アール・ローラン著「セザンヌの構図」、横山了平著「絵画の構図」、浅野春男著「セザンヌとその時代」である。しかし理屈に弱い私には難解で面白くない。早々と読むのを諦め前に買っていた佐藤哲著「もっと自由に絵を描こう」をパラパラと読み返してみた。
実は、モチーフを人が驚くほどの精緻さで再現するのは私には出来ない別世界のことであるが、ほどほどの描写力を得たとして私が行き着くところは何なのか、という漠然とした命題が頭の隅にあった。その解答がこの小さな本の中にあったのである。私流に言えば、目指すは「人を惹きつけ目をそらさせない魅力ある絵」ということか。その方法として佐藤氏は「遠近法」だの「ヴァルール」だの「ムーブマン」だの、やはり難しいことを言いよくわからない。そんな時、11月の日展のミニ解説会で佐藤氏に「ヴァルールとは何だ?」と聞く機会に恵まれたが、すべてを理解することは出来なかった。ただ一つ頭に残ったのは、「視線がその絵の中から逃げない」ために、私流に言えば
(1) |
遠近法の消失点と視線が奥や上下左右に逃げるものを作らない、あれば塞ぐ。 |
(2) |
前にあるものを抑え、奥にあるものを引き出し画面を立たせるということである。 |
早速、制作中の100号(右上図)に試してみた。モチーフはフランスの旧港オンフルールの網元の家である。古い石造りの建物の圧倒的な存在感を出したかった。(2)については、部分的に取り入れたが可も不可もなし。(1)については、モチーフを意図的に真正面から画面いっぱいに入れてみた。しかし肝心の建物に目が留まらない。気がつくと視線が屋根の上を通り抜けていく。空の明度が高く建物よりもその向こうに目が行ってしまったのである。これではどっしりとした建物を鑑賞して頂けない。視線を塞ぎ「抜けない空」を作らねば。バーミリオンだのバンダイキブラウンだので明度と彩度を落とし空の抜けるのを塞いでみた。
この絵はさる団体の支部展に出品したが、前に立つと気のせいか視線が絵の中にとどまり、かつぐるぐると回り、簡単には隣の絵に逃げないように贔屓目ながら思えた。簡単な実験ではあったが、幸い絵は好評を得た。 支部展を終えて現在の心境は、今後は難しいと言わずに理論・理屈とは即かず離れずのお付合いをするかと、読まれなかった3冊の本を眺めながら思った。
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