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美術サロン

  

私の絵画論

「師匠との出合い」 - 城 戸 宏 -

私の父は子供の頃には画家を志していたが、挫折したらしい。
日頃子供たちには“建築会社に入ったのは、空中に大きな楼閣を描くため”と話していた。
最初の作品は丸ビルであるが、そのせいか旧丸ビルには懐かしさと格調の高さを感じていた。子供の頃には我が家の多くの部屋に絵が飾られ、私の部屋にはユトリロの模写の額が掛かっていた。どうも父の絵好きが、私に無形の絵心を与えてくれた様である。
小学校の頃から絵は得意科目であったが、デッサンが下手で、時間を掛けて修正している内に水彩画は汚れ、段々と絵を描くことが嫌いになってしまった。
一方子供の頃から絵を見ることが好きで、画廊を見付ければ必ず立ち寄り、日立時代も
海外出張すれば寸暇を惜しんで美術館を散策した。父は74歳で退職し、待っていましたとばかり油絵を描き始め、多くの絵を残して88歳で逝った。

私は油絵を描き始めて今年で7年目であるが、最初の目標は父を超えることであり、第二の目標は40年近く油絵を描いている5歳上の姉である。姉から貰った安野光雅の本を読むと“きれい”と“美しい”の違いは後者には醜悪な色の中に美があるとのことである。この定義で見ると私の絵の方が姉より“美しい”かも知れないと感じるようになって来た。

私の師匠は立軌会の山本治先生である。先生との出会は4年前であるが、先生は18歳から東京芸大時代まで小磯良平に師事し、父親は牡丹の絵で有名な日本画家であった。
始めての油絵を描き終わった頃、私の後で先生が云う“面白い絵ですね”という言葉に多少むつとし、“何が面白いのですか”との応対に、“城戸さんのデッサンは下手だが、絵に雰囲気が有り、色が美しい。向こうの人のデッサンは大変上手いが、雰囲気が有りませんね、城戸さんはうまくなりますよ”であった。私は、豚でも木に登らせてしまう師匠に出会ったわけであるが、先生の色彩はまぶしいほど美しく気品が有る。

私は安岡正篤先生の書を愛読しているが、師の言葉に「老荘系の准南子という書の中に“行年五十にして四十九年の非を知り、六十にして六十化す”とあります。これは六十になっても、六十になっただけ変化せよと言う意味です。すなわち、人間は生きている限り、年をとればとるほど良く変わっていかなければならないということです。」と述べている。
私は五十代半ばにこの言葉に出会い、日立退職後はベンチャー会社を興したり、老舗企業の監査役や非常勤役員を引受たり、現在は親しい米国のベンチャー企業を巻き込んで、
元部下が企業化したベンチャー会社の支援をしている。
好きな日本の画家は、中川一政や三岸節子であるが、色の美しさと気迫に圧倒される。
とうとう私も後期高齢者に仕分けされる年齢に近づいているが、今の師匠のご指導で、
10年たったら10年分だけより高く登りたいと考えている昨今である。


 

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