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私のスケッチ旅行(U) - 江川 隣之介 -

前月には私の22年間にわたる欧州スケッチ旅行の概要とフランス・モナコ王国2カ国の経過を説明しました。
今月はスペイン以下8カ国の経過を説明します。

スペイン
サンチャゴ・デコンポステラはキリスト教徒にとって最大の聖地で、ここへはヨーロッパ各地から特有の仕度をした順礼が、あるいはピレネー山脈を越え、あるいは北の海路からお参りにくる。この寺院の全景を見渡せる向い側の丘の上で油絵のパレットを拡げていると、スペインの元気な子供達が珍しがって取り囲んできた。次第に慣れてくると、手を出してきてとても絵にならなかったこともあった。スペインの子供は日本の子供よりも元気なようである。
サンチャゴとは聖ヤコブのことであるが、スペイン語では「突撃」と 「南無八幡」という戦闘の掛け声の意味もあって、我が国の島原の乱(1638年)に於いて天草四郎がサンチャゴと叫んで戦ったと云われている。この地に滞在中にスペインのファン・カルロス国王と妃殿下をお見受けした。
バスクというのはスペインの北東部からフランスの南西部北部にまたがるヨ―ロッパで最も古くから人が住みついた地方で、二百万人程のバスク人は誇りをもって独立を自負し、バスク固有の習慣を守り続けており、美しい潤いのある都市のスケッチを楽しむことが出来た。
一仕事を終え街道筋に戻ったところで、御衛車に誘導されたカルロス一世の黒い車が、猛スピードで通り抜けるのを見送った。

ポルトガル
リスボンは七つの丘に囲まれた坂の街で、通行人のすれすれに市電が車体を揺らせながら過ぎてゆく。アルファマ地域の展望台から見下ろすテージョ川を背にした赤屋根の街並は恰好な絵の対象である。

イギリス
コッツウオールズ地方はロンドンの西の丘陵地帯に点在する村落で、英国のナショナル・トラストの一つであり、緑の牧草地が広がり、ライムストーンで造られ風雪に耐えた蜜蜂色の家屋の佇まいは恰好な画材になった。この地方は嘗て英国経済を支えた羊毛による繊維工業の中心地で、機織り工場や職人の住居跡、水車小屋、商品取引小屋などが恰好な題材となった。マナーハウスと呼ばれる十七世紀の領主の館も見られた。

アイルランド
海を隔ててアイルランドへ渡る。カトリックの国アイルランドはプロテスタント系の英国から長年にわたり宗教的弾圧を受けており、食糧不足もあって米国、豪州に多くの人が移住した。ケネデイ、マッカーサー、レーガンや映画のジョン・ウエイン、ジョン・フォードもそうであるという。
ダブリンの運河沿いの水門を主題にし、家並と教会の尖塔を入れた構図でスケッチをする。道行く人影もなく、弱い太陽のもとのんびりと佳境に入ると、何処の国にいるかも忘れてしまう。市内の住宅は四階建の集合住宅が多く、入口の扉のみが各戸を区分するもので、それぞれ美しい色に染めわけて、道行く人を楽しませてくれる。「ジョウジアンズ・ドア」と呼ばれるとりどりの色の扉が美しい。
北の国の夏は日の暮が遅い。その夕は旅行仲間全員でパーテイ会場に出掛ける。広い部屋には食卓が並び、とりどりの国からの旅行者が席に着く。この国の名物はアイリィシュ・ハープで、舞台の上ではハープの美しいメロヂィが奏でられている。
指名されて、私はよく知られているアイルランド民謡「ロンドンデリーの歌」を歌った。幸いこの場に相応しい曲であり大変な拍手をうけ、アメリカ人がわざわざ私の席にやってきて絶賛してくれた。

オーストリア
ウイーンは何回か訪問した。一度はスケッチ・グループを抜けだし、オペラハウスを訪れた。日本の劇場では座席番号は簡単な記号で表されているが、此処では同じ番号でも東、西さらに1,2、3、4階と区分されており、二度ばかり間違った上で本来の座席に納まることが出来た。
おまけに演目がワーグナーの「トリスタンとイゾリテ」で、長々と退屈な演奏に困惑した。
ウイーンのシンボルともいわれるシュテフアン寺院の高屋根を仰ぎ、独りで新宮殿の広大な英雄広場に到達した際、「男はつらいよ」の寅さんとバスガイド役の竹下景子がバスの入口で対話しているロケ風景に出くわした。日本ではさしずめ黒山の人だかりとなる光景だが、野次馬は私ひとりであった。帰国して知った話であるが、寅さんシリーズでの初めての海外ロケで、「湯布院」の積りが「ウイーン」に来てしまったとの物語であり、そのロケ・シーンの午後にはその二人が観光馬車でウィーンのリンクを通る光景を再び目撃した。

スロベニア
北イタリアを東進するとバルカン半島に踏み込むことになる。その先ではベルリンの壁崩壊後、以前のユーゴスラビアが解体して誕生したスロべニア、クロアチアなどの国が続いている。
スロベニアは人口が二百万であるが、工業生産に力を注いでおり、ユーゴの他の国に比べ経済的には豊かで、自然環境にも恵まれている。
ブレッド湖は周囲2キロメートルの美しい湖で、この近くにはスロベニアの富士山ともいわれるトリグラフ山が望める。ブレッド湖畔でスケッチをしていると二人の仲間に遭遇し、近くのボートハウスに頼んで対岸のホテルまで漕いで貰い、岸辺の光景を楽しんだ。船頭はカメラに合わせてボートの向きを調節したり、沿岸に見られたチトー元帥の別荘のことも丁寧に説明してくれた。湖の中の小島の売店に立ち寄ると、店の女性が私達を見ると日本語の説明書を出してくれたのには驚いた。
ラドウリッツアは人口6千人の小さな村で、ここの山を背景に集落の風景をスケッチしていると、地元の若者が近づいてきて親しげに話しかけて来た。彼はオーボエ奏者で日本に大変関心を持っており「ひちりき」なる言葉を口にして、私のことをこの町に訪れた初めての日本人であると伝え、わざわざコーヒーを持ってきてくれた。後日談であるが、一年程経ってから彼は日本を訪れて来て、私の家の庭で一緒に日本酒を酌み交わした。

スイス
スイスは観光立国の国であるが、EUにも加盟せず、二十六のカントンと称する州の連合体による完全な地方自治に徹し、国民皆兵で武装中立を国是としており、全国各所で赤地に白十字の国旗とともに至る所で各州の旗がひらめいている光景を目にした。スイスには何度も足を運んだが、登山電車で高地まで足を運ぶと、活発に移動する際息苦しくなることもあった。
クライネシャイデックにはグリンデルワルトから登山電車で到着し、目の前に聳え立つアイガー(3,970米)とその後ろに連なるメンヒ(4,107米)の威容に感嘆しながら絵筆を執った。足元に拡がる岩山のすぐ先に「アルプスを愛した日本の作家 新田次郎」と記されたプレートが見られた。
セガンテイー二美術館はサンモリッツ湖を見下ろす高台にあり、農村風景を描いた過去、現在、未来に相当する「生成」「存在」「消滅」の三部作が展示されており、訪れた時はこの美術館の創立百周年に当たっており、正面に倉敷の大原美術館から特別に取り寄せたセガンテイー二の大作「アルプスの昼間」が特別展示されていた。

ポーランド
ポーランドは長らく東欧圏にあり2004年にEUに加盟したが、歴史を聞けばロシア、ドイツ等の侵略の後遺症は拭い去れず、アウシュビッツ等という負の人類の世界遺産も残っている。
グダンスク(ダンチヒ)はバルト海に繋がる運河沿いの港町で、運河に繋がれた船が海洋博物館になっており、運河では水中モーターバイクが水しぶきをあげ、二人乗りのカヌーが優雅に滑る様に過ぎ去って行く。対岸には古い要塞の施設も残っている。
この街の西方でドイツの軍艦が砲撃を仕掛け、前の世界大戦が始まった。運河から緑の門を潜ると、市庁舎のあるドゥウーギイ広場があり、壮麗な建造物が建ち並んでいる。中央のネプチューンの噴水を囲んでパラソルが広がっており、黄金の門、囚人の門などに繋がって、ハンザ同盟の栄光の跡を留めている。


■思い出に残る絵画 以下にスケッチ旅行の8事例を示す。


 

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