第二の人生、楽しみながら絵を描きたい
- 川島 肇
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油絵をはじめたきっかけ
二十歳の頃に絵の好きな先輩に誘われて会社の美術クラブに入ったことがある。水彩画でなく油絵を描いてみたかったからである。
早速、イーゼル・キャンバス・絵具など油絵の道具一式を1千円で購入し、週一回のクラブで絵を描き始めた。しかし、やってみると油彩画は水彩画と違って絵の具がなかなか乾かずクラブだけでは完成しない。もっと時間が必要だった。そのころは写真や剣道など他にやることが沢山あった青年期、絵に集中できず二年足らずで美術クラブを止めてしまった。そして油絵は時間のできる定年後(当時定年は55歳)にじっくりやろうと封印したのである。
油彩画のこだわり
中学生のころから絵を描くのが好きだった。物の形や色のバランスに興味を持ち始め、摸写やスケッチをよくしていた。また、地域(郡)の小中学校展覧会出品のための作品準備も積極的に行った。あるとき絵の好きな先生が写生に同行し、同じ所を描いた。私は不透明水彩絵具で、重ね塗りに失敗し絵を汚くしてしまった。油絵具で描いていた先生の絵もあまりきれいではなかったが翌日には構図も色彩も変わりまるで別の絵になっていた。これが高価な絵具で描いた油絵か・・このとき初めて油絵の特性と魅力を強く印象付けられた。大人になったら油絵を描いてみようと強く意識し、以来油彩画にこだわるようになった。まだ、絵画に関する知識が皆無のころの話である。
準備
還暦が近づくにつれ、むかし封印した「油絵を描きたい」が再燃し、早く心象風景、原風景が描きたくて仕方がなかったが、あえて気持ちを押さえ込んだ。 あせっても見たものや頭に浮かんだものが直ぐに描けるわけもなく、その準備を始めることにしたのである。テレビを見ながら広告の裏紙やメモ帳に目の前のものを写生し、思い付いたものを落書きした。写真撮影にはスケッチブックを持って行き、撮影が終った後にその場をスケッチして構図のとり方を自習もした。孫ともスケッチに出かけた。それから2〜3年後に油絵教室に入った。
油絵の道具も昔の使い古しのものがあったが、これも一式新調することにした。
絵画教室の選択
再開するにあたっては油絵を一から本腰を入れて勉強しようと絵画教室を探した。
カルチャーセンターの案内やNHK学園の講座内容を調べたり、インターネットで講師の作品を見たりした。曜日・時間・交通の便のほか先生がどんな絵を描くのか、その絵は好きかなど色々と調べた。そして決めたのがNHK学園の油絵教室(講師:北条章先生)である。
この教室で初めて描いた静物画がソコソコの評価を貰えたからさあ大変、今までためていたエネルギーが一気に吹きだした。
それからは時間があれば絵筆を持ってキャンバスに向かう日々が続いた。
もともと凝り性でのめりこむ性格、それまで夢中になっていたゴルフは疎遠になった。
先輩に近づくには沢山絵を描いて色々経験することしかない。そう考えて教室での課題とは別に手作りの小屋で夜遅くまで20号から50号の絵を描いた。上手下手は関係なく思い切ってキャンバスいっぱいに絵の具を塗りたぐった。実に気持ちがよく楽しい。キャンバスの上での混色や重ね塗りでは思いもよらない色や形に出合い、すっかり自分の世界に入り込んでしまう。若い頃は上手く描きたいなどと邪念があったが今は好きなように描ける。40年前には味わえない心境、精神状態で絵を楽しんでいる。
パワーの源
あるパーティーで「今、大きな絵を描いている」と話したことが日立OB美術会に入会するきっかけになり、第31回展から連続出品するようになった。そして大勢の先輩知人に自分の絵を見てもらい、激励とアドバイスを貰っている。なかでも少し疎遠だった中学時代の友人や高校時代の同級生が大勢OB展会場におしかけ遠慮ない批評をしてくれる、大変嬉しいことで張り合いがでる。そしてこれが次の作品制作の大きなエネルギー源になっている。
幸い今年は目標でもあった公募展に入選し100号の大作が東京都美術館に展示された。来年の5月には絵の好きな仲間と「三人展」をやる計画が進んでいる。
これからも、うまい下手にこだわらずのびのびとした気持ちで楽しみながら絵を描きたいと思っている。(肇)
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