日立OB美術会に入会したものの
- 林 寛
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65歳過ぎてはじめた水彩画
60歳を過ぎたころ、毎年ある先輩から日立OB絵画展の案内ハガキを頂戴し、数回足を運ぶ機会がありました。そんな絵画展を見るたびに、こんな絵が描けたら、老後の人生が楽しいだろうなと心の片隅で思うことが一度ならずありました。
中学校の図画の授業のときに水彩絵の具を使って以来、50年近く、画用紙に向かい合う機会がなかった我が身を思うと、いまさら絵筆を握ることは夢のまた夢の遠い別世界のことのように思わざるを得ませんでした。
たびたび絵画展に足を運んでいるうち、ある時その先輩から、君も絵を始めてみたらどうかと勧められたことがありました。そのときは生返事で出来たらいいなあと軽く言ったものの、心の奥底では本気で考えるところまでは至っていませんでした。
その後、その先輩から、もし始める気があるなら、師について習うのが良いとのアドバイスをいただき、絵画教室や先生の紹介をいただいたことがありました。しかしながら我が身の素人同然の未熟さを思うと果たしてついて行けるかと不安になり、重い腰はなかなか上がりませんでした。
そんな2005年4月、たまたま新聞広告に、通信教育講座の水彩画コースを見つけ、これならもし途中で挫折しても、周りに迷惑がかかることもないだろうと気軽に受講することにしました。課題の作品を一ヶ月に二回のピッチで送りながら、毎回講師の二、三点褒めて一点指摘するといった調子に乗せられて約半年近くでどうにか課題の12作品を送ることが出来、途中で挫折することなく、無事修了することができました。
日立OB美術会入会と初出品
その後しばらくして、先輩から日立OB美術会入会のお誘いを受け、今後の絵を描く機会やつながりを太く豊かにするには、願ってもない好機会と思いつつ、一方では半分不安をもちながら、2006年12月、恐る恐る入会することになりました。
その後、勧められるまま、2007年4月の日立OB美術会展覧会に初出品することになりました。なにしろ中学生以来、人の行き来する戸外で画用紙を広げたことなど50年間以上無かった上に、うまく描けるかどうか不安の中、自宅近くの公園でやっとの思いで書き上げたものが右の作品です。
作品の出来栄えを云々する以前の描き上げることが究極の目標との思いで仕上げた作品です。出品初日の立見先生の講評を胸が張り裂けんばかりの思いでお聴きしたのを今でも覚えています。酷評は覚悟の上で、恐る恐る何処が拙いのかをお聞きしました。
ところが、立見先生は二つ三つの点を指してここが良いですねと、最後に「可愛らしい絵ですね」とおっしゃっていただきました。さすが一流の先生は素人が挫折するようなことは、あったとしても言わないものだなあと感心した初出品の初日でした。
おかげさまで今日まで挫折することなく、画面に向かう気力が続いています。
己の稚拙な作品に戸惑いつつ、一生かかっても会員の諸先輩の作品の足元には到底近づけないと観念すると同時に、せめても諸先輩の作品から感動を受け続ける機会をこれからも持ち続けたいと願っている今日この頃です。
因みに、日ごろ厳しくご指導をいただいている先輩とは、日立OB美術会の粟根洋様です。 |