日立美術会
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美術サロン

  

私はこうして絵を始めた
「私と絵画」     - 矢原 武紀
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私の通った山口県の片田舎の中学校の図画の時間は、主として水彩画を描くことになっていた。不透明水彩絵具を使い、厚めに塗り重ね、色彩だけは色々工夫して、出来るだけ現実に近い色になるようにするというのが私流の描き方であった。学校では図画の時間だけでなく、課外活動で絵の好きな生徒が数人集まり石膏像のデッサンや水彩画を月数回描いていた。また、近郊で開催されたスケッチ大会にも欠かさず参加し水彩画を描いた。絵画を描くことは、この頃の自分にとって楽しくも充実したひとときであった。
描いた水彩画のうち、学校の講堂で「ピアノを弾く若き女性教師」と、学校近くの「古い浄土寺の山門」とが、山口県展に入選したことを覚えている。

その後、高校時代以降会社を退職する間際までの40数年間、絵筆をとることはごく稀であった。ただ絵画鑑賞は大いに興味あり、この間、いろいろな絵画展や美術館に足を運んだ。カミーユ・コローと小磯良平が好きで、美術館などでこの両者の絵に遭遇すると幸せを感じた。(一昨年の国立西洋美術館での『コロ―展』は感激であった!)

会社生活が終わる2年前位から、かねてより退職後の趣味として油絵を描きたいと思っていたので、当時住んでいた福岡市の画材店に行き、油絵の画材を一式購入し、油絵入門書を頼りに全くの独学で油絵を描き始めた。香椎宮、大宰府天満宮、福岡城址、秋月城址、門司港、由布院、日田等々行った先で、スケッチしたり写真に撮ったりした風景を、主として8号のキャンバスに描き続けた。福岡にいた2年間で20数枚描いたが、これら未熟な絵の殆んどを、定年退職者で「記念に絵が欲しい」といってくれた人など同じ職場の人達に貰って頂いた。うち2枚だけは福岡県シニア美術展(60歳以上の者の作品を全て県立美術館に展示してくれる展覧会)に出品した。

退職後関東に戻ったあとも、細々と描き続けていたが、3年前、松永事務局長から当会への入会を勧められ、恥ずかしい技量ながら入会させて頂いた。
以来、年2回の展示会には、小品と10号の作品2点を出展させて頂くことで勉強中であるが、この展示会における会員の方々の作品を通して、絵画の奥深さ、多様さ、そして楽しさなど多くのことを学ばせて頂いている。これからも伸び伸びと自分らしい絵を描き続けていきたいと思う。

 

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