私はこうしてきり絵を始めた - 大塚健嗣
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8年前の夏に、JR川崎駅の隣のリパークビルを通り抜けようとしたとき、川崎切り絵美術展の看板を見てちょっと覗いてみる気になった。見てゆくうちに、だんだん興味を持ち始め、体験コーナーがあり、夫婦で申込み、白菜を切り、裏から緑色色紙を貼って完成したはがき大のみずみずしい切り絵の虜になり、幸切り絵サークルの9月教室を見学しその日に二人で入会したのが始まりです。
絵はどちらかと言うと、苦手の科目であり、小学生のときは「もっと丁寧に描きなさい」と裏書されて返されていました。ただ一度だけ各校から5,6枚推薦された目黒区の展覧会に赤紙を貰った記憶があっただけだった。東京工大に入学して1年生のとき学級担任の心理学の宮城音弥先生の、その当時助手であった、「頭の体操」で有名な多胡先生に2年次から選択するコースについて「機械工学」と「建築学」コースか迷って相談したとき「君は芸術方面」に向いているから「建築学コース」がよいとアドバイスされた。この頃より数学、物理よりだんだんと言語学、心理学等の文科系の科目が好きになったが、ほとんどはバスケットボール、パチンコに時間を割き、建築設計の課題は、期限間際に1週間ほど15〜20/30名昼夜篭って間に合わせていた。「東工大夜間部建築学科」と他の学部から言われるほどの繰り返しでした。
幸切り絵サークルは、川崎市内外にある8サークルの1つで15〜20人程度の女性を主とした会であり、市民センターで月1回の教室と、年に1週間の展覧会を連合で2回、単独で1回および、センター祭りなど一部として開催される2、3回開催している市民活動のひとつである。教室は毎月先生からB4またはA3の下図をいただき、その下図を初心者はそのまま、トレースをして、ベテランはその下図を応用した作品を作成して、翌月の教室に持参して、教室の最後に、先生の講評を受ける。そのほかに、ステンシル、ぼかし「ブラシング」、カレンダー作成(共同作業)、年賀状及びクリスマスカード作成等が毎年繰り返される。3年ほどでマンネリになり、ぬるま湯につかったような感覚に陥って、自分流の道を求めていた。
数年前の高校の同期会で「切り絵」をやっていると話したところ、同期生の一人に、高校の同窓会の美術愛好会である「八台展」に出品をすすめられたが、ボーリングを週に3,4回投げることを主とした生活で、余裕と作品に自信がなく参加しなかった。昨年秋の同期会にはがき大のコピーを持参し、背中を押され、今春初参加した。銀座の大黒屋画廊に2枚の作品を持ってエレベーターを降りたとき、目の前に大きな立派な油絵が何枚も掲げられているのを目の前にしたとき、場違いのところに来てしまった、そのまま帰ってしまいたいほどのカルチャーショックを受けました。幸いなことに同窓でしかも同期の物も多く展示完了のとき、司会者から新参加者の紹介から外されるほどリラックスでき、一人ずつ自分の作品の意図などを語り評価を受けるときにやっと自分の進む道をつかんだおもいでした。山本会長、岡野先輩の勧めで日立OB美術会に入会させて頂き、」美術サロンでの真剣なやり取りを聴き、ただ珍しいだけの切り絵、透視図の延長でしかない図から、絵画としての「切り絵」に脱皮することを念頭に思考錯誤の道をゆっくりと弛まず進みますので、今後とも諸先輩のご指導、ご教示をお願いします。
掲載した切り絵はイタリア見聞録U「スペイン広場(ローマ)」を切ったもので。通常スペイン広場と言えば、広場から階段に向かった作品が多いが。階段側が工事中で、階段から広場方向を選びました。今まであまり人を入れなかったが、200人までは数えて切ったが、頭数は300人を越えて切りました。
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