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私のスケッチ旅行 - 若狭 孝治 -

「私のスケッチ旅行」のテーマを与えられたが、実は、私はスケッチ旅行があまり得意ではない。

中学の美術部時代には、先生と仲間数人で、よく一泊程度のスケッチ旅行に出かけた。ベニヤ板の角に紐をつけたお手製の画板と、大きめの空き缶に手提げ用の針金をつけた筆洗い兼用具入れに、絵具など一式をほうり込んで出かけた。当時はお金がなく、お寺の修錬堂などに無料で泊まり込み、米・野菜・缶詰などを持参しての飯盒炊爨をしながらのスケッチ旅行だったが、今振り返っても、なにを何枚くらい画いたかほとんど覚えていない。修錬堂での朝、杉林の間を流れる霧、最後の日、米が足りなくなって、水を多めに入れてお粥を作ったことや、キャンプファイヤーで遊んだことばかりが記憶に残っている。

当時は、12色の透明水彩絵具を使っていたこともあり、先生に「チューブから出したままの絵具と同じ色の物は無い。よく物を見ろ。自分の色を自分で(混色で)作れ。」と、くどいほど言われてきた。その悪弊のせいか、または自分が不器用なせいか、今でも現物を見ながらでないと色が出せない。最近いろんな色の絵具が出てきたし、また、いろんな人に、生の絵具の輝きを教えられたが、依然として混色でないと思うような色が出せない。

一度のスケッチでは、現場で見た色を覚えることができず、写真を撮ってきても、思った色を写すことができないので、時間とともに写真に引きずられて色を忘れてしまう。歳を取るに従ってこの傾向はますますひどくなってきた。水彩を画いていた時代は、2時間程度で仕上げられるので、現場で画きあげることができたたが、油絵に転向してからはそうはいかなくなった。

今は、現地に2〜3度足を運ばないと絵が描けない。

この絵は、宅から徒歩5分くらいの田んぼ道で、散歩がてらスケッチをし、写真を補助にしながら10号のキャンバスに下書きしておいて、時間と天候を合わせて、2〜3度現地にイーゼルを立てて画きあげたもので、それを見ながら自宅で50号に仕上げた。その間も幾度か現地に色を確認しに行っている。

だから、どうしても現地に何度も足を運ぶ必要があり、勢い “自分の生活の匂いのする絵を描く”と屁理屈を言いながら、自宅からあまり遠くない所をモチーフに選んでいる。
だから「私はスケッチ旅行があまり得意ではない。」
とは言え、いつも皆さんが、海外や、上高地のモチーフを画いて来られるのが羨ましくてしかたがない。私も、一度奥入瀬渓谷で2〜3日同じ所にイーゼルを立てて、じっくりと渓谷の流れと水の底を描きたいと思っている。

 

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