絵は詩情 - 山下悦三 - 今でも拙筆の私が事もあらうに画壇の権威、桜田精一先生に入門を許されたことがある。先生のもとには画壇への登竜門とあってプロ流の士が集まる。私は現職の折先生とのご交誼のお蔭で席を得たものの、何であんな未熟者に先生は面倒を見るの、との陰口も承知で私は只管キャンバスを汚し続けたものだった。
ある時、先生宅の近く野田の水路沿いに咲く桜を皆で描きに行くことになった。桜堤、菜の花咲く河原、賑はう店々、夫々は散って終日10号程の絵を仕上げた。合評会が始まると先生の口から意外な言葉が飛び出した。「自分の絵に俳句をつけなさい。自分の絵が何を主張しているか俳句で示しなさい」と。当日の私の絵は皆から「いい感じが出ている」と言われ日一安心した処に俳句となって参った。私の絵は春風に花吹雪となって散る古木を絵の主役に見立てたが弱った挙句、その場面から逃避して、堤に連なった雪洞を見て、"灯り待つ夜桜の姿想いつつ"と古木の桜花が散り残ってくれ、と願っての苦吟を記した。俳句が出来ぬと見映えのする絵も先生は「技巧に走るな、詩情を忘れて描くな」と厳しい。私の番になると「ずばり言うと俳句の方が上ですな、でも詩情を心得ているからやがて絵は上達しますよ」と皆の笑いの中で、将来の見込みに望みは得た。
確かに先生の描く古都奈良の佇まいからご近所の古池の澱み迄、心地良い雰囲気に包まれ失われつつある日本の詩情が溢れて、その独特な色調と共に他の追従を許さない。その先生が詩情は理解しても、手が進まぬ私に、「ガラス絵を教えませう。裏から描く手法に慣れればガラス越しに見る油絵は、独特な雰囲気があって、貴方の絵も結構見られますよ」と教わった。やがて皆とのガラス絵展では私の作品も肩を並べ得たので、その時から変な自信がついた。先生から教わった技法に慣れると欲が出て変わりに変わって今や独善自己流である。又近頃の技巧に走り過ぎる私に突然、彼岸の空から先生の声が厳しく響く。
"詩情忘れては只のガラス板"と、私は暫し反省し、又新たな創作に立ち向かうことが出来るのです。 第2回のリレー随筆へ>> |