私と個展 - 渡部崇 - 私が本格的に絵を習い始めたのは昭和26年、小学校4年で担任の先生に絵画教室で教わった時です。マチスに憧れ,その真似をし、さらに抽象画に興味を持ち、夏休みの作品展に50点ほど出品したところ、その全部が張り出され、まるで私の個展になってしまいました。 その後、中学で陶芸家の先生、高校で彫刻家の先生に個別指導を受け、デッサンを中心に芸大への進学を考えたのですが、親・親族から猛反対にあい、結局進路は工学部の電気工学科へ。入学3ヶ月後、夏休みで帰省したその夜、父が急逝。苦学生になり学生生活は続けられましたが絵を描いている暇など全くありませんでした。 大学3年生の夏休み、アルバイト代を蓄えて1か月間の北海道貧乏旅行に行き、スケッチブックを持参してスケッチを多数描いたのが絵の再出発になりました。大学を卒業して日立電子サービス(株)に入社、その年に同好の志と絵画クラブを立ち上げ、休止時期(転勤で各地を転々とした時期)はありましたが今日まで教室を続けて来られたことは支援して頂いた諸先生、ギャラリーの方々のお陰と感謝し、心からお礼を申し上げます。 さてこの間、個展の勧めを何度も頂いておりますが、描いた絵はすぐにどこかへ持って行かれてしまいますので、個展の開催は毎日の地域防犯パトロールを辞した時にやりたいと考えています。 それがいつになるのか、創作意欲が失せないうち、身体が元気なうち、中村さんのように77歳までに実施出来ればいいかと考えています。 なお、土浦協同病院では現在私のスケッチ集をプリントして病院内に掲示されています。このほか数か所で私の絵が展示されています。これも当面の常設個展の一種ではないでしょうか? <<第2回のリレー随筆へ 第4回のリレー随筆へ>> |